周庭氏の逮捕でも日本メディアの「中国幻想」は消えないらしい

田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)

周庭氏の逮捕でも日本メディアの「中国幻想」は消えないらしい

田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)

 中国の「狂気」は拡大するばかりである。香港警察は8月10日夜、香港の民主化運動の象徴ともいえる周庭(アグネス・チョウ)氏を香港国家安全維持法(国安法)違反容疑で逮捕した。周氏はここ数日、香港郊外にある自宅周辺で不審な人物が多数いることをフェイスブック上で伝えていた。既に警察の監視下に置かれていたのだろう。

 香港の新聞界で、国際的にも民主化運動の広がりに寄与していた蘋果(ひんか)日報(アップル・デイリー)を発行する壱伝媒(ネクスト・デジタル)の創業者、黎智英(ジミー・ライ)氏や同紙社長ら少なくとも9人が、やはり同法違反で逮捕された矢先だった。

 周氏もフェイスブックで、「今日『アップル』で起きたことは、将来また起きるかもしれません」と書いていた。自身への波及を予知していたのかもしれない。

 翌日の11日夜になって、警察は周氏を保釈した。黎氏も近く保釈される見通しだという。警察署から出てきた周氏は会見を行い、パスポートを没収されたことを明らかにし、「どうして逮捕されたのか全く理解できない。政治的な弾圧だ」と語った。

 ただ、周氏や黎氏の逮捕容疑の詳細はいまだ不明である。国安法が成立と同時に施行されたのが6月30日のことだ。それ以来、両氏に目立つ政治的な活動はない。

 香港紙によれば、黎氏については、国安法第29条に禁止されている「外国勢力と結託して国家の安全に危害を与えた」とする容疑だという。しかし、多くの報道や識者たちが指摘しているように、黎氏にも周氏にも国安法施行後、容疑に該当する行為はない。

 疑いがあるとすれば、ただ一つある。国安法は施行以前の言動を対象としていないが、法適用を恣意的に、つまりでたらめに援用した疑いが香港警察自体に生じる。

 さらに言えば、そのように香港当局を行動させている中国政府の意志そのものが違法である。つまり、罪を犯しているのは中国政府自身なのだ。この場合の「法」とは、国安法のようなちんけな法律を意味していない。国際社会で通念として受け入れられる言論と表現の自由を守る法である。

2020年8月11日、保釈後に香港の警察署前で記者会見する周庭氏(左)(藤本欣也撮影)

 おそらく、今後はかなりの拡大解釈が行われ、周氏らの「容疑」がでっち上げられるだろう。注意しなければいけないのは、国安法の適用は海外で活動している他国民にも及ぶことだ。

 特に、メディア関係者や言論人に危害が及ぶ可能性がある。危害の可能性があること自体、海外メディアや言論を委縮させる効果につながる。中国の狙いが世界のマスコミへの牽制(けんせい)であることは疑いない。

ジャーナリストの福島香織氏は自身のツイッターでこの点を的確に指摘している。

 中共の恫喝の相手は私たちメディアだということだ。外国記者たちは今後、香港の市民からコメントをとることすら、ブレーキがかかる。取材を受けたことを扇動罪とすることは、外国メディアに対する恫喝だ。中国や香港のメディアだけでなく、外国メディアもコントロールしようということだ。

 そして、今回の周氏らの逮捕は、米中対立の高まりを受けた対応でもあるだろう。トランプ政権は、今月7日に林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官を含む香港政府高官や中国共産党幹部ら11人が米国内に有する資産凍結と米国人との取引を禁止する制裁対象に指定した。これに対して、中国側も米上院議員や国際人権団体代表ら11人を制裁対象にしたと発表した。

 周氏の自宅周辺に警察関係者と思しき連中が姿を見せたタイミングと符合もしている。郵便学者で国際的なプロパガンダ(国家利益のための情報利用)にも詳しい内藤陽介氏がブログで指摘しているように、周氏らの逮捕はまさにこの米国に対する報復の延長線にあるのだろう。

 さらにトランプ政権は、台湾にアザー厚生長官を派遣した。米閣僚の訪台は6年ぶりとなる。

 新型コロナウイルスの抑制で目覚ましい実績を挙げている台湾との情報交換が表向きの理由である。だが、もちろん米国側には、南シナ海や尖閣諸島、そして台湾に対して軍事的脅威を強めている中国への牽制が思惑にあることは明白である。

 中国側も、共産党系メディアなどを通じて、米国への批判をエスカレートさせ、中国空軍も台湾空域に侵入して威嚇を行っている。もちろん尖閣諸島への連日の中国の侵入行為や、これから懸念される中国の民間漁船を利用した「違法操業カード」も忘れてはならない。

台湾総統府で会談する蔡英文総統(右)とアザー米厚生長官(左)=2020年8月10日(台湾総統府提供・共同)

 全ては連動しているのだ。香港、台湾、尖閣がバラバラに進行しているのではない。また、周氏らの逮捕は香港の言論弾圧だけではなく、福島氏の指摘のように海外メディアの報道の自由を危うくさせる手段でもあるのだ。

 ところが、ここで驚くべき認識に遭遇した。10日夜のテレビ朝日系『報道ステーション』で、アザー長官と蔡総統との会談を報じたときのことだ。

 米中の緊張の高まりを報じる映像の後で、レギュラーコメンテーターがまず「台湾に自粛を求めたい」と発言したのである。すぐに付け足すように「米中台の自粛」と言っていたが、「台湾への自粛」を求める発言が優先して飛び出すことに、筆者は何より驚いた。

このような「自粛」発言こそが、中国政府が最も外国メディアに求めている姿勢だろう。また『報ステ』にも、先述のように台湾、香港、そして尖閣問題が全て連動していること、それだけではなく、中国の対外工作がいよいよ過激化していることに対する問題意識が希薄なことは明らかだ。

 現在、インターネット上では「#FreeAgnes」のハッシュタグをつけた抗議活動が盛り上がっている。もちろん抗議はどんどん行うべきだろう。

 だが、他方でそのハッシュタグ運動を進めている日本国内の「リベラル」言論人の多くに対しては、何とも薄っぺらい気がしてならない。その「リベラル仕草」とでもいうべき人たちは、中国政府がわれわれと同じ価値観や政治観に立脚していると思っているからだ。

 中には「大国」としての自覚を中国政府に求めている「リベラル」系識者もいるが、本当に愚かしいことである。中国の「大国」化は、貪欲なカネへの志向と専制的な振る舞いへの傾斜、その意味での大型化というだけだ。だから、われわれと同じ価値観における振る舞いを求めるような合理的説得は幻想でしかないのである。

 これから中国政府は、対外プロパガンダ工作をさらに推し進めていくことだろう。ネット上の工作もあるだろうが、警戒すべきは官庁や大学などを通じた言論弾圧行為である。中国政府に対する批判を「差別的な行為」として自粛や禁止する動きが最も警戒される。この点については、盆休みなどを利用して、ぜひ次の書籍をまず読まれることを期待したい。

 一つは、福島氏が訳した経済学者でジャーナリストの何清漣(か・せいれん)氏の『中国の大プロパガンダ』(扶桑社)だ。これには中国の対外宣伝工作の歴史と手法が詳細に綴られている。

 もう一冊は、評論家の江崎道朗氏の『インテリジェンスと保守主義』(青林堂)だ。江崎氏は、インテリジェンスの重要性を強調してきたこの分野の第一人者である。本書には、対中国に関しても「戦争は宣伝戦から始まる」として、多様な視点から分析を行っている。これからの日本国内の政策を考える上で必携の書だろう。

香港・九竜地区の裁判所に出廷する民主活動家、周庭氏=2020年8月5日(共同)

 最近の経済学の研究では、対立する主張や、フェイクニュースの類いが出てくると、本当は正しい情報だろうがフェイクニュースだろうが、多くの人はどちらにも懐疑的になってしまうという。つまり、情報を操るプロパガンダが強まるほど、人々が真実にアクセスしづらくなる可能性が高まる。これを「懐疑的無差別」と呼んでいる。

 幸いにも、中国に対する「懐疑的無差別」の状況に、日本の世論はまだ陥っていない。だが、その危険性は日増しに強まるだろう。

 おそらく、これから対中国に関して、日本の言論や世論は決定的に深刻な局面を迎えるに違いない。そのときにぶれない軸を持つことが重要だ。今回挙げた福島氏や内藤氏、江崎氏らの著作や発言を参考にして、そこからさらに自分たちの目でこれからの事態を読み解いていくことを、読者の皆さんに強くお願いしたい。

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